大判例

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広島高等裁判所松江支部 昭和46年(ネ)69号 判決 1972年9月22日

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は「原判決を取り消す。被控訴人らは控訴人に対し、連帯して金四六万三七五〇円並びに内金二五万円に対する昭和四五年一〇月七日より支払いずみに至る迄年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの連帯負担とする。」との判決並びに右第二項につき仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は主文と同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張並びに証拠関係は、以下に付加するほか原判決事実摘示のとおりであるから、これをここに引用する。

控訴人は、

(一)被控訴人らは鳥取家庭裁判所米子支部に対し、被相続人亡梶野清二郎の債権債務の内容、特に鳥取地方裁判所米子支部昭和三二年(フ)第二号破産事件につき、四〇六万九五四八円の破産債権の届出をなし、そのうち七八万円が確定している事実を明らかにしないで、単に債務超過という抽象的理由のみによつて相続放棄の申述をなし、しかも被控訴人らが破産会社の株主であり、梶野清二郎が破産会社の創立者で、破産時まで代表取締役であつたことなど同会社と密接濃厚な関係を有する事実を申告しなかつたことは、故意に被相続人の財産を隠匿し、前記家庭裁判所を欺罔して相続放棄の申述を受理せしめたものというべきであり、被控訴人らの相続放棄は無効である。

また被控訴人らは資産を有しているのに相続放棄をし、無資力の訴外梶野せきをして相続せしめ、もつて被控訴人らが債務を免れ、債権者をしてその権利の保全を不能ならしめたが、かかる相続放棄は権利の濫用であるとともに、憲法一四条に違反する経済的差別処分であつて、無効である。

更に被控訴人梶野庄一郎は前記梶野清二郎の長男であつて、民法八九七条に従い系譜、祭具および墳墓等の所有権を承継したものであるから、一般の財産権について相続放棄をすることは権利の濫用であつて許されない。

(二)仮に被控訴人らの相続放棄が合法適格であるとしても、民法九四〇条には、相続を放棄したものは、その放棄によつて相続人となつたものが相続財産の管理を始めることができるまで、自己の財産と同一の注意をもつてその財産の管理を継続しなければならないと規定しているところ、前記破産事件について被相続人梶野清二郎死亡の届出および梶野せきの相続の届出がいずれもなされず、被控訴人らの相続放棄の届出が本訴提起後に至るまでなされなかつた事実にかんがみ、被控訴人らは右民法九四〇条の定める管理義務にもとづいて本件株金の支払義務がある。

(三)なお、原判決は、相続放棄は財産権を目的とする行為ではないから、詐害行為取消の対象とはならない旨判示しているが、相続放棄は相続によつて承継すべき被相続人の財産上の権利義務を対象とするものであるから、財産権を目的とする行為というべきであつて、右判示は失当である。また被控訴人らは、相続放棄は基本的人権につながるともいえる程相続人の人格に密着するもので、その自由は奪うべからざるものであると主張するが、相続放棄の自由は憲法はもとより民法にも規定がなく、却つて放棄の期間など種々の制限が加えられているのであつて、右主張も理由がない。

と陳述した。

被控訴代理人は、

被控訴人らが相続放棄の申述をするに当り、「債務超過のため相続放棄する。」と申述したことは認める。しかし家庭裁判所を欺罔した事実はない。被相続人の積極財産である破産債権はどの程度の配当を受けられるか不明であり、おそらく多額の配当はないものと考えられる。従つて相続放棄の申述に当り右破産債権を取立不能と判断し、債務超過を結論づけるのは当然である。仮に相続放棄の理由のうち真実に相違する点があつたとしても、放棄の意思が申述人の真意に出たものであれば、右相続放棄は有効と解されるべきである。けだし、相続放棄の自由は相続人の基本的人権につながるともいえる程相続人の人格に密着したものであり、たとえ相続放棄により相続債権者を詐害する結果を導く形となる場合で放棄の自由は奪うべからざるものだからである。

と陳述した。

理由

一、控訴人が昭和三三年六月二六日破産宣告を受けた訴外中国製鉄株式会社(破産会社)の破産管財人であること、訴外亡梶野清二郎が破産会社に対し、株金二五万円およびこれに対する昭和三一年七月七日から昭和四五年一〇月六日までの遅延損害金二一万三七五〇円、合計四六万三七五〇円の払込義務を負つていたこと、右訴外人が死亡し、その相続人である被控訴人らが鳥取家庭裁判所米子支部に対し債務超過を理由として相続放棄の申述をなし、これが受理されたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二、そこでまず、被控訴人らの相続放棄が詐害行為として取り消されるべきであるか否かにつき判断する。

相続放棄は身分行為であることはいうまでもないが、右は相続によつて承継すべき被相続人の積極財産および消極財産が自己に帰属することを確定的に拒絶する行為であつて、広い意味においては財産権を目的とする行為ということができる。しかしわが相続法は、相続人に対して相続の承認をするか放棄をするかにつき自由な選択権を認めているのであつて、相続財産が債務超過になつているときは、相続放棄をすることにより単純承認をした場合に比して被相続人の債権者が不利益を受けるおそれがあることは否定できない(逆に相続人の財産が債務超過の場合は単純承認によつて被相続人の債権者が不利益を受けることになる。)ところであるが、このような場合相続放棄を詐害行為として取り消すとすれば、相続人に対し相続の承認を強いることとなり、相続放棄自由の建前に反する結果を招くこととなつて不当といわなければならないから、相続放棄に対する詐害行為取消の請求は許されないものと解するのが相当である。また相続を放棄した者は当初から相続人とならなかつたものとみなされる(民法九三九条)ことにかんがみれば、相続放棄は一旦生じた相続の効果を後になつて覆えすものではなく、相続の効果が確定的に生ずることを拒否するにすぎないものというべきであり、もともと相続人の固有財産は被相続人の責任財産を構成しているものではないから、相続放棄によつて被相続人の債権者が害されるということはいえないわけである。されば、相続放棄は詐害行為取消の対象とならないものと解されるから、その余の点につき判断するまでもなく、詐害行為取消を前提とする控訴人の主張は失当である。

三、次に被控訴人らの相続放棄が無効であるとの主張について判断する。

亡梶野清二郎が四〇六万九五四八円の破産債権届出をなし、そのうち七八万円につき確定していること、被控訴人らが相続放棄の申述をするに当り、被相続人である右梶野清二郎の債権債務の内容、特に右破産債権の存在を明らかにしなかつたこと、右相続放棄の申述に当り、被控訴人らと破産会社との間に控訴人主張のごとき密接な関係を有することを明らかにしなかつたこと、被控訴人らの相続放棄によつて無資力な訴外梶野せきのみが相続人となつて亡梶野清二郎の債務を承継したこと、被控訴人梶野庄一郎が亡梶野清二郎の長男であつて、民法八九七条により系譜、祭具、墳墓等の所有権を承継したこと、以上の事実は被控訴人らが明らかに争わないから、これを自白したものとみなすべきである。しかし破産債権の回収が困難であることは経験則上否定できないところであるから、被控訴人らが相続放棄の申述に当り、被相続人の破産債権が取立不能であると判断し、家庭裁判所に対し相続財産が債務超過である旨申し述べたことは必ずしも不合理ではなく、これをもつて被相続人の財産を隠匿し、家庭裁判所を欺罔したものということはできない。しかも相続放棄の申述に当り、放棄の理由や相続財産の内容を明らかにすることは法律上の要件とされていないのであるから、たとえ右債務超過の点が真実ではなかつたとしても、相続放棄の意思が被控訴人らの真意に出たものである以上、右相続放棄を無効ならしめるということはできない。また民法八九七条により祭具等の承継をしたことはその他の財産につき相続放棄をすることを妨げるものではなく、その他控訴人が主張する右各事実によつて、被控訴人らが相続財産を隠匿し、或いは家庭裁判所を欺罔したことにならないことは勿論、被控訴人らの相続放棄が憲法一四条に違反し、或いは権利の濫用に当ると解することもできない。従つて被相続人らの相続放棄を無効とする控訴人の主張も採用できない。

四、最後に、控訴人は民法九四〇条によつて被控訴人らに亡梶野清二郎の前記株金払込債務の弁済義務があると主張するが、右規定は、相続放棄をした者に対し相続財産の管理継続義務を認めたに過ぎないものであつて、これにより被相続人の債務の弁済義務を負わしめたものではないから、この点に関する控訴人の主張も失当として排斥を免れない。

五、以上の次第で、控訴人の本訴請求は理由がないからこれを棄却すべきものであり、これと同趣旨の原判決は相当であつて本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

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